(2026年 真宗教団連合「法語カレンダー」2月のことば)
今月の法語は、真宗大谷派(東本願寺)の僧侶で、大谷派を代表される学者であられた金子大榮先生(1881~1976年)のお言葉で、『金子大榮対話集』(1979年弥生書房)の中に出されている一文であるということです。
さて、「一切衆生(いっさいしゅじょう)」ということは、「生きとし生けるもの・いのちあるものすべて」ということですが、その一切衆生を救うという願いを建てられたのが法蔵菩薩(阿弥陀如来)です。
『仏説無量寿経』には、法蔵菩薩が、48の願い(四十八願)を建てられたことが説かれ、親鸞聖人は、その中、第18番目の願いが、阿弥陀仏の本願であると申されています。その願いは
「たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、心を至し信楽してわが国に生れんと思ひて、 乃至十念せん。もし生れざれば、正覚をとらじと。ただ五逆と誹謗正法を除く」というも のです。現代語訳では以下のようにお示しくださいます。
「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わ ずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開き ません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。」
(『浄土三部経(現代語版)』より)
法蔵菩薩(阿弥陀如来)の願いは、「すべての人々を救う」ことにあるということができます。
金子先生の『歎異抄-仏教の人生観-』(1969年法蔵館刊)には、「すべての人々が救われる場」と題した一文に
「すべての人をして、可愛いいとか憎いとかという怨親を超えて、一つの大涅槃の境地にあ らしめたいというのが如来の願いである。こういうならば、われわれはその仏の願いを信ぜ ずして、どうしていきてゆけるのであるか、ということになるのではないでしょうか。浄土 とは万人の涅槃する場である。その浄土という場は、人間の怨親を超えた世界である。仏の 大きな心において大悲せられている世界である。如来の本願とは生きとし生けるものをして すべて一如の世界にあらしめたい、浄土にあらしめたいという願いであります。」
と、お示しくださり、その後に、
「すべての人の救われる道が見いだされて、はじめて、その道において自分が救われるので ある。…(略)…すべての人が救われる道でなければ、自分も救われないのであります。」
と、申されています。
2月の言葉は、自分だけが救われ他の人は救われないという世界(道)は、阿弥陀さまの本願の上では成り立たないということをお示しくださり、そうでなければ本当の安心は見いだせないことを示してくださっているのではないかと思います。
そして、親鸞さまはご和讃に、
大聖おのおのもろともに 凡愚底下のつみびとを
逆悪もらさぬ誓願に 方便引入せしめけり
と、あらわされ、阿弥陀さまにどんなに逆らう者であっても絶対に漏らさず捨てることがない本願の救いであることを、お示しくださいました。
その阿弥陀さまの願い(はたらき)に包まれている私たち一人ひとりです。
南無阿弥陀仏を称えて阿弥陀さまのおはたらきを喜ばせて頂きたいものです。
南無阿弥陀仏