(2025年 真宗教団連合「法語カレンダー」8月のことば)
今月の法語は、京都の大谷大学の学長をされておられた、寺川俊昭(1928~2021)先生の言葉です。
今月の言葉は先生の著作『親鸞に出会うことば』(東本願寺出版2006)の中、「ひたむきな聞法」と題された随筆の最後の言葉であるということです。(『月々の言葉』本願寺出版社刊でご教示いただきました。)
一度だけ、寺川先生のお話を聞かせて頂いたことがあるのですが、それが何時のことであったのか思い出せません。その当時は大谷大学の学長になられる前だったように思います。こんなことですからお話の内容は全く思い出せません。ただ非常にまじめな先生であったことが印象に残っております。
さて、親鸞聖人の著された『教行信証』の最初「総序」には
「ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈に、遇ひがた くしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬 信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。ここをもって聞くところを慶び、獲るとこ ろを嘆ずるなりと」(『浄土真宗註釈版聖典』本願寺刊より)
【ここに愚禿釈の親鸞は、よろこばしいことに、インド・西域の聖典、中国・日本の祖師方 の解釈に、遇いがたいのに今遇うことができ、聞きがたいのにすでに聞くことができた。そ してこの真実の教・行・証の法を心から信じ、如来の恩徳の深いことを明らかに知った。
そこで、聞かせていただいたところをよろこび、得させていただいたところをたたえるので ある】(『教行信証現代語版』本願寺刊より)
私たちは、今、お念仏を称えさせていただいています。それは、私がお念仏を称えるご縁を頂いたからです。
お釈迦さまの教えが、インド・西域・中国・日本へと長い時間と長い距離を超えて伝わり今の私に届いているということです。その間どれだけ多くの人々のかかわりがあったことでしょうか。
親鸞さまは、お正信偈の中で「如来所以興出世 唯説弥陀本願海(釈迦如来が世に出られるのは、ただ阿弥陀仏の本願一乗海の教えを説くためである)」と、お示しくださいます。
お釈迦さまの教え(仏教)は、現在では多数の宗派に分かれて伝えられています。しかし、親鸞さまにとっては、それは、私という人間を必ず救うとお約束(誓って)くださる阿弥陀さまのはたらき(南無阿弥陀仏)を教えてくださったのがお釈迦さまですからそのような表現になったのであろうと思われます。
そのお釈迦さまの教えが長い時間と距離を超えて、多くの人々のはたらきで伝えられてきたのは、阿弥陀さまが一人ひとりの人間のことを思い、その一人ひとりにはたらき続けてくださっているということです。それだけ私たちはさとりとはかけ離れた存在であるということかもしれません。全く煩悩に振り回されてしか生きていけない存在であること示しているのではないでしょうか。
そんな存在である私どもが、阿弥陀さまのおはたらきを聞き、「阿弥陀さまにあいたい」という願いを持つ、悟りの世界にあこがれるというような思いをもつことは素晴らしいことであることを表してくださっている今月のお言葉だと伺います。
それは、自己の本当のすがたに気付いた者の願いであると寺川先生は申されているのではないでしょうか。
皆さまお念仏申しましょう。
南無阿弥陀仏